「あるべき論」の押し付け

仕事上の付き合いにおいては、仕事に対する姿勢や働く目的の話はすべきではない。例えば「俺は仕事を金稼ぎの手段にしか思っていない」とか「自分の応分を超える仕事はしません」とか「血尿が出るまで働くのが普通だ」…といった類のことだ。私自身は、仕事に対する考え方は各人によって千差万別であると割り切っている。家庭が第一な人もいよう。趣味が第一な人もいよう。必ずしも仕事第一である必要はない。業務推進に支障が出ないのであれば、その考え方に対する良し悪しは他人が判断すべきことではないし、口を出すべきことではない。その考え方の結果として、恩恵を受けるのも困るのも本人なのだから、その人に対して責任を持てない第三者がとやかく言うことではない。同じセンスで、人生の話や生き方の話もすべきではない。要は、仕事上の付き合いにおいては、個人の信条に根差す事柄を話すべきではない。

この類の話題は、余程の事がない限り、親友同士でもズカズカと踏み込んでよい領分ではないと考える。

例えば、酒席においては、往々にして、人の内側の柔らかい部分を触る話題になることが多い。この手の話題が好きな人はある程度の割合で存在しているし、アルコールは人の思慮分別・忍耐力を麻痺させる。その様な場では大体において、アルコールでリミッターのはずれた声の大きな奴が「あるべき論」を打ち、自分の考えを押し付けはじめ、周りの人間はそれに比例してストレスを溜めていくことになる。それまで我慢して聞いていた人間に「あるべき論」の押し付けの矛先が向いてくるなら、それまで我慢できていた人間も反論をはじめ、そこで諍いが生まれる。

ある取引先のある酒席に呼ばれたときのこと。年下の上司が年上の部下に対して、人生に関してのご高説を打ち始めた。お前の生き方は間違っている、こう生きるべきだ、と。案の定、普段は温厚な部下も徐々にエキサイトして反論をはじめた。そりゃそうだ。部下からしてみれば、この会社では部下だが、仕事というシーン以外を知らない年下の上司に、自分の生き様や人生を否定されたくない。しかし、逆にエキサイトした上司は「お前の意見は要らない。黙って俺の言う事を聞け。」と一喝。今後の会社での立場を悪くしたくない部下は、もう黙るしかない。その後は、周りの誰もが口をつぐむ中で、その場はその部下の公開リンチの場になっていった。私はこれ以上見ていられず、席を立った。

さて、この事件で、一体誰が得をしたのだろう?ひょっとしたら、部下をやり込めた上司は、うまい酒を飲めて良い気分になったかもしれないが、部下の恨みも周りの不興も買ったはずだ。衆目の前で人一人を理不尽に晒しものにしたのだから。された方は、した方が考える以上に精神的なシコリを残すはずで、どう贔屓目に見ても、この部下がこの事件前よりも上司に好意的・協力的になることはない。この場に同席していた他のメンバー達も、その上司に対して悪感情を持ったに違いない。同席していた私もうんざりしただけだった。つまり、この件では誰も得してないのだ。ところで、この人生論議は、どうしてもしないといけないやり取りだろうか?勿論「否」だ。この上司の行ったことは、全く何も生産していないどころか、チームに不要なネガティブな感情を渦巻かせて、負の効果を与えただけだ。

往々にして「あるべき論」を押し付ける/られる構図は、上司と部下、発注者と受注者といった、何らかの力関係が働いている下で起こることが多い。職務執行上の「あるべき論」の押し付けであれば、いくら理不尽でも我慢して意に沿うよう対応することが多いだろう。しかし、職務とは関係のない個人的なことに事が及んでくると、そこで何らかの衝突が起こってしまうことは、想像に難くない。

通常、個人的なことに第三者が「あるべき論」を持ち込んだとしても、その個人はそれを拒否することができる。しかし、仕事で関わる人間関係には何らかの力学が働いていることが殆どで、その状況下では、たとえ、個人的なことであっても、理不尽な「あるべき論」を甘受しないとならない場合がある。質が悪いのは、押し付ける側が、単なる職務上の立場の違いを、職務とは関係のないところでの力関係もそうであると錯覚してる場合だ。先に紹介した上司と部下の例は正にその構図だ。その場合、押し付ける側は実は何の権限もないのに「あるべき論」を押し通すことが当たり前という麻痺した感覚になっており、押し付けられる側は本当は触られたくない個人的な何かに「あるべき論」を理不尽に押し付けられてストレスがかかった状態になっている。これは明らかに不自然な状態で、押し付ける側が更に途方もなく鈍感であれば、最後は結局、臨界点を超えて諍いが生じるという不幸な結果になるのであろう。勿論、こんなことは誰も何も得をしない。

職務と無関係の個人の信条に根差す事柄に、責任のない第三者が「あるべき論」を持ち込むべきではない。そもそも「あるべき論」自体が個人の信条に根差しており、個人の独りよがりな考えの域を出ていない、立ち位置によって簡単に変わる考えだろう。つまり、「あるべき論」に普遍性を持たせて押し付けること自体がナンセンスだ。だからこそ「あるべき論」の押し付けは、容易に諍いの原因になりえるし、それが職務を遂行する上で争うに値する意味を持つことは殆どない。ちなみに、聡明な人ほど、職務と無関係の個人の信条に根差す事柄について、仕事上のパートナーと話をすることを避けている様に感じる。